リブラ舎の「この世」のしごと

編集ライター・リブラ舎です。本と雑誌、WEBもいろいろつくります。仕事履歴、日々の雑感を綴ります。

民俗学と写真

 

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近所の小さな図書館で、資料本を探しているとき、ふと目についたこちらの本。

宮本常一と写真』石川直樹・赤城耕一・畑中章宏・宮本常一平凡社

これが本当に素晴らしかった。

宮本常一と写真 (コロナ・ブックス)

 

民俗学と写真は、とても相性がいい。

相性がいいけれど、そこには矛盾が生じてしまう。

 

大学のゼミで何度も教わった。

フィールドワークは、現地の人々の日常、リアルを記録するもの。

しかし、「調査する」「調査される」という立場の違いが、

日常を日常でなくしてしまう。

写真も同じで、カメラを向けた途端、それは日常ではなく、写真を撮られるためのポーズになってしまう。

だから、「ほんとうの」民俗学者たちは、

何ヶ月もそこに滞在し、人々が慣れて、ほんとうの日常を送ってくれるまで待つのだと。

 

この本に載っている宮本先生の写真は、

どれも、人々がリラックスしているように見える。

レンズを見つめる子どもも、親戚のおじさんに向ける笑顔のよう。

調査する側、される側の枠を超えて、生々しい、人々の生活が感じられて

どれだけの時間でも、眺めていられる。

 

私が民俗学に興味があるのは、きっとこういうところなんだなと思う。

どんな芸術よりも、芸術的だと感じる。

それは、それらが芸術のためにつくられたものではないからだ。

 

少し前、宮本先生の『調査されるという迷惑』

調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本

調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本

 

を読んだところだったので、 そこに書かれている心構えが、こうして形になるのだと、再確認した感じ。

 

宮本常一と写真』では、写真も充実していたけれど、読み物・資料ページも充実していた。

畑中章宏さんがまとめた「写真と民俗学者たち」「日本民俗写真史」は、永久保存版だと思った。

 

雑誌『写真文化』1943年9月号での「民俗と写真」という企画で行われた座談会の記録。

柳田国男土門拳、濱谷浩、坂本万七、美術研究家の田中俊雄という豪華メンバーの座談会。

 

記者「写真技術は民俗学の資料収集のどういうところから手をつけたらいいか」

柳田「民俗学のマテリアルは「目で見るもの」「耳で聞くもの」「心の感覚で直接感ずるもの」の三つからなり、現在の民俗学は目に見える「有形文化」だけではなく、「無形文化」の材料も写真で撮ろうというところまでいっている」

「「言葉に言い表せないけれど、写真ではピンと頭に感ずるようなもの」がある(…)」

 

 

確かに、石川直樹さんの写真もそうだけど。

人の顔、建物の写真に、人が刻んできた時間、感情が、気配として宿っている。

そうだ、港千尋さんの『レヴィ=ストロースの庭』も写真が素晴らしかったな。

レヴィ=ストロースの庭

レヴィ=ストロースの庭

 

 

 読まねば、と思っているもの↓

明るい部屋―写真についての覚書

明るい部屋―写真についての覚書

 

 

図説 写真小史 (ちくま学芸文庫)

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