リブラ舎の「この世」のしごと

編集ライター・リブラ舎です。本と雑誌、WEBもいろいろつくります。仕事履歴、日々の雑感を綴ります。

はじまりの経緯

 完全フリーで独立しようと決めたのは、去年の7月頃だった。夜に決めて、翌朝イチで上司に、「おはようございます!お話があります!」と荷物を置くなり切り出した。

それから8ヶ月かかり、ようやく退職。長かった、しかし、辞めようと決めたにもかかわらず、それからたくさんの楽しみや人の魅力に気づかされた。「辞めない人生もありかもしれない」と、主に、職場の人や取引先の人との対話の中で、心を動かされるたびに思った。たくさんの人が、私に、人生の一部を見せてくれた。とくに、退職を伝えて2ヶ月後の9月に亡くなった上司には、多くのことを教わった。好きか嫌いかで言ったら、嫌いだった。嫌いだけど尊敬して、反発しながら、認められたかったのだと思う。人が癌になり、亡くなっていく、一部始終をとても近くで見ていた。死は容赦なく、頑固じじいもあっけなく逝く。退職の意向を伝えたあと、「一緒に本を出そう」と、その上司は言っていた。結局は、応援してくれていたのだと思う。元漁師なので『漁師が薦めるうまい店』という本が出したいと、印税は山分けしようと言っていた。

それから、半ば押し付けのような引き継ぎを多忙の中受け止めてくれた係長。神経質で几帳面なところと、心の広さを併せ持った人だった。

辞めた会社に思うのは、とにかく、ありがとうございましたということ。

「辞めるの辞めた」と言いそうになりながらも、自分が決めた通り、この4月からフリーになった。時間があった分、悩みながら準備を進めることができたと思う。今は、解放感と不安で落ち着かない感じ。まあ、やり直しがきかないわけじゃない。またいつか、会社で働く日が来るかもしれない。でもとりあえず、やってみるしかない。

身ひとつで、どうやって出版業界を渡り歩いていくか考えて、そして決めたことのひとつ、屋号をつけること。案件によっては複数名のスタッフになるかもしれないこと、そして、好きなミステリー系の編集者、藤原編集室さんにあやかり、‘編集室’とつけようと思った。前に勤めていた出版社も‘編集室’の看板を掲げていたし。なんというか、アナログな温かみがあると思う。リブラというのは、自分が天秤座だから。まず語感が気に入っただけだったけど、あとから、たくさんの理由があることに気づいて、この名前しかないと思った。大学時代の恩師、阿部嘉昭先生が何年か前に話してくださったことを思い出した。「幸せは、異なる2つの選択肢の‘ねじれ’の中にある‘度合い’の調整によってもたらされる」という内容だった。答えは、一定ではないのだと。しかし、優柔不断に、答えが出せないというのではなく、すべてが「YES」であり、またすべてが「NO」であるということを、理解したうえで、自分の、ひとつの、最善と思える答えを出そうと思った。だから常に揺れていることを自分に許す。

会社をやっている父の事務所の一角を間借りする形で、スタートした。思えば、父も私が中学のときに脱サラして会社を始めた。そういうところは似ているのかもしれない。幸い、スタートダッシュでたくさんお話をいただいている。まずはそれをしっかりと。でも、いろいろとやりたいことはある。